第七章 代償
律希とのセックスは、回を重ねるごとに気持ちよくなっていく。
律希はいつも挿入する前に、あたしの身体の隅々に舌を這わせる。耳の中、首筋、背中、お尻の谷間、太ももの内側。爪先まで、律希が舐めるとそこにセックスの神様が宿ったかのように快感が輪を描いてあたしの内側からじわじわと広がっていく。あそこは既にぐちょぐちょに濡れているのに、律希は意地悪をしてたっぷり潤ったそこにはなかなか舌を這わせてくれない。股の付け根を丁寧に愛撫した後、ようやくそこに達すると、あたしはものの二分で頂点に達する。仕事でのセックスでは感情のこもらない「イク」しか言えないのに、律希とのセックスでは本当にイク。ベッドの上でのたうち回りながら快感の津波に抗うあたしを、律希はクリトリスを更に舐めながらじっくり観察している。
「それ以上やるとくすぐったいよ」
快感が痒みに変わる頃、笑いながらそう言って、律希はようやくあそこから唇を離してくれる。律希を抱きしめ、猫のようにさらさらした髪を撫でながら言う。
「あたしとするのと客とするのと、どっちが気持ちいい?」
「そりゃ、千咲に決まってるじゃん」
「あたしも律希が気持ちいい。もう、一生律希としかセックスできなくてもいい」
さりげなく嘘をついた。本当は今でもあたしは、祐平としたいのだ。律希が祐平と入れ替わってこんな素晴らしい愛撫をしてくれたら、これ以上の至福はない。
「千咲は、僕のこと好き?」
突然、律希が聞いた。うっかり、髪を撫でる手が止まりそうになった。
「なんなの、突然」
「だって、最近毎日のように会ってるし。毎日こんな事してたら、普通は、相手のこと好きになるもんじゃないの?」
律希は顔を上げて、乳を乞う子犬のような目であたしを見た。
どういうことだろう。これは婉曲的な愛の告白なのか。あたしは律希のことをただのセフレとしか認識していないけれど、律希はもしかしてそれ以上の感情をあたしに抱いているのか。
「あたしは、誰も好きにならないよ」
律希をぎゅっと胸に抱きながら言った。最近Bカップがきつくなり始めた胸がふわり、と律希を受け止める。
「あたしは一生、祐平のことが好きだもん。祐平以外に寝る男なんて、誰でもいいの」
「そっか」
律希の声は、少し寂しそうだった。
胸がひりひりとする。やはり律希は、あたしに恋心を抱き始めてるのかもしれない。そりゃあ、男相手に自分の意思とは関係なくカマを掘られて、その事をトラウマに思っていて、そのトラウマも、自分が抱えてる秘密も、全部打ち明けられる相手。そんな人が律希に他にいるとは思えない。依存してしまっても、当然だ。
「ねぇ、律希が戻せる過去の時間って、なんで十一分なの?」
それ以上話を続けたくなくて、話題を逸らした。律希はまだ、あたしの腕の中にいる。
「十一分って、かなり中途半端じゃない? 五分とか十分とか十五分とか、もっときりのいい数字、いくらでもあると思うけど?」
「それは僕も、何回かセッションやって気付いて、不思議に思ってた」
律希があたしの胸から身体を離し、ベッドの上に身体を預ける。寝転がって天井を仰ぐ瞳は色素が薄く、茶色がかっていた。
「いろいろ調べてみたんだけどね。いちばん納得がいったのは、数秘術」
「何それ?」
「占いの一種だよ。数秘術において、十一っていうのは、特別な意味を持つ数字とされているんだ」
「あたし五月十一日生まれだけど、それも特別な意味を持ってるの?」
「十一日生まれの人は、霊感が強いって言われてる。過去生でシャーマンとか魔女を経験した人が多いんだ」
「霊感、ねぇ」
占いは自分に都合のいい事だけ信じるタイプのあたしに、いきなり霊感と言われてもあまりピンとこない。幽霊の存在を否定はしないけれど、実際見た事のないものを信じろ、と言われても無理がある。でも。
「たしかに、怖い話とか、オカルト的なものは子どもの頃から好きだったな。図書室で、海外で起きた怪奇現象を子ども向けに解説した本があって、それに夢中になってた。幽霊はよくわからないけれど、神隠しは信じてるよ。アメリカだか、どっかの国だか忘れたけど。同じ場所で、母と幼い息子が突然消えたんだって」
「そういう話が好きな千咲だから、僕の能力も受け入れられたんじゃない?」
「そうかもね」
二人、顔を見合わせて笑う。なんだかあたしたち恋人っぽいな、と頭の片隅で思う。
隣にいるのが律希じゃなくて祐平だったら、どんなに良いか。
「実はさ、僕も十一日生まれなんだ。九月十一日生まれ」
「九月十一日生まれ? てことはまだ、誕生日来てないじゃない。あれ、てことは律希、もしかして……」
「今度の誕生日で十七。歳は一緒だけど、実は学年はひとつ、千咲より上だよ」
いたずらっ子の笑みを見せる律希の頭を、反射的に叩いていた。ごく優しく。
「何するんだよ。年上を敬いなさい」
「最初に言ってくれなかった律希が悪いんだよ。騙したな、この野郎」
「騙された千咲が悪いんだよ」
悔しくて、律希の身体をくすぐってみた。敏感な律希は身を捩ってそれに抗い、途中からやり返してきた。
そういえば幼稚園の頃、祐平とも布団の上でやったな。くすぐりごっこ。
幸せな現実の底を、甘くてほろ苦い過去が滑っていく。
一般的に夏、風俗は繁忙期とされているが、尋常じゃない暑さの中では却って性欲は減退してしまう。特にキャッツの客なんて若者よりもオヤジがメインだから、中年太りのオヤジはいくら若い女を買いたかろうが、いくら暇だろうが、昼間っから渋谷という名のコンクリートジャングル、要は灼熱地帯。そんな場所に足を伸ばすわけがないのだ。
だから十五時から店を開けていて、さっそく薫に予約が入った時は、西さんは大喜びしていた。ここ数日、二十時くらいまでまったく電話が鳴らない日が続いていたから。しかも百八十分のロングコース。今日のキャッツは、この一本で安泰だ。できればあたし達にも客がついてほしいけれど、バーゲンで欲しい服はほとんど買ってしまったので、今はあんまり物欲がない。
十五時半からヴィラジュリアに入った薫は、十九時を過ぎても戻ってこなかった。西さんの電話が鳴り、東さんと何かを話していた。聖良が買ってきたUNOを三人でやっていたあたしたちも、何事かと耳をそばだてる。
二十時になりかけた頃、ようやくカラオケ館に戻ってきた薫は、東さんにおぶわれていた。健康的に灼けた頬が色を失い、目も虚ろだ。西さんがフロントに電話を入れて、水を持ってくるように頼んでいる。
「何があったんですか?」
東さんに訊くと、抑揚のない声が返ってきた。
「たぶんクスリを盛られた。客は薫を置いて、さっさと出て行ったらしい」
「クスリィ!?」
あたし、聖良、ひより。三人の声が一斉に引っくり返る。
椅子に寝そべっていた薫は、渡された水を弱弱しい動きで飲んだ後、ぽつぽつと事の顛末を語りだした。シャワーも浴びていないらしく、肌から瑞々しい汗の香りがする。
「これ、差し入れに、って。シャンパン、持ってきたんだ。二人で、一時間、くらい、飲んでたかな……その後、セックス、したんだけど、なんか、いつもと、全然、違った。すごく気持ち良いのに、頭の中で、ずっと、火花が散ってて……イッちゃって、そのまんま、ずっと、動けないの。こんな事、今まで、なかった」
「だからいつも言ってるだろう。飲み物には気を付けろって」
東さんが険しい声を出して、薫が力なく頷く。
「クスリって、何盛られたの? まさか、覚せい剤とかじゃ……」
ひよりが声を震わせる。薫は無言で、聖良も無言で、東さんがすうと肩を落とし、西さんがため息をひとつついてから言う。
「その可能性は否定できないけど、たぶんこれ、純粋のシャブじゃないね。マゼモノだよ。質の悪い合法ドラッグじゃないかな」
「合法ドラッグと脱法ドラッグってどう違うの?」
「読んで字の如く、だよ。法律の手が及ぶ範囲内のものが合法ドラッグで、法律を完全に跳び越えちゃってるのが脱法ドラッグ。シャブとか、クサとかね。クサなんかは俺も若い頃やってたけど、モノによって全然質が違うんだ。合法だろうが脱法だろうが、質の悪いものは危険」
あたしの頭の悪い質問に、西さんが丁寧に解説してくれる。ひよりが声を落として言う。
「質が良い悪いに関わらず、そういうの、やっちゃ駄目だと思うけど……人間、やめますか? ってやつでしょ」
「それ、私も中学の時やった。警察の人が来て、二年生全員集めて薬物教育……有名人でもたくさんドラッグで捕まってる人いるし、どんなに意志が強くても薬物依存は病気だから、簡単には抜け出せないんだって。だから、絶対手を染めちゃ駄目だって」
「その通りだな」
東さんが低い声を出す。
半分ずれたつけ睫毛を直す気力もない薫からはいつもの快活さは感じられなくて、あたしは今目の前で起こっている事がとんでもない事であると思い知らされる。
身体を売る前は、覚せい剤で捕まる有名人がニュースで取り上げられる度、軽蔑してた。いけないものに手を出して、やめられなくなって、繰り返して、逮捕されて。依存するなら酒とか煙草とかギャンブルとか、法の範囲内でやるべきだろ、って。
でも、今は少し違う。あたしが身体を売り、服やバッグやコスメに浪費するのをやめられないのと、ドラッグに溺れて手錠をかけられるのと、どっちがマシか。そんな事をつい、思ってしまう。
あたしがやっている事だって法という名の元では悪に分類される行為であり、いつ捕まってもおかしくない。それでも、やめられないんだから。
「病院、行かなくていいんですか?」
聖良が薫の顔を覗き込みながら、心配そうに言った。
「話も出来てるし、意識もあるし、その必要はないよ。病院が仏心を出して親に連絡したりしたら、薫ちゃん、ヤバいでしょ。うちだってヤバい」
西さんはそう言った後、水をもう一杯フロントに頼んでいた。
違法風俗では、女の子に万が一の事がないよう、男たちは異常に神経を使う。万が一の事が起こった場合、警察を頼れないんだから当たり前だ。
警察を頼れないあたしたちは、常に丸腰で男たちと向き合っている。
今さらながら思い出す。これは、電子力発電所で働く以上に危険な仕事なのだと。
Comments